橋の名前は?

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「植林地」・・・和歌山の風景

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この状態の植林地をみてからもう数年たつが、間伐材はそのまま放置されたままだ。

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「煙樹ヶ浜と松林」・・・和歌山の風景

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松林の小道を行けば浜にでる。この浜が「煙樹ヶ浜」と呼ばれだしたのは大正の末らしい(美浜町のホームーページ)。それまで何と呼ばれてたのかは知らないけど、「三穂の裏」もこの辺りまでだったと空想してみた。「煙樹ヶ浜」の端から日高郡三尾までは近い。
「風早の三穂の裏みを漕ぐ舟の舟人さわぐ浪立つらしも」万葉の歌が残ってる。

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煙樹ヶ浜の北端に西山と言う小高い山がある。南端の日高川河口からこの山までは、浜から日高平野が見渡せる、そんな環境がこの浜をつくり、平野の稲作を守るためにこの松林を人々は守ってきたのだろう。もちろん今は浜からは松がみえるだけだが。


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「箕六弁財社」・・・和歌山の風景

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和歌山県海草郡紀美野町箕六(かいそうぐんきみのちょうみろく)の住所一覧を検索してみた。30軒あまりの番地が表示されたが、もちろんこの「箕六弁財社」は番地の中には入ってない。車道は前方で行き止まりになってるが、ようやく車が方向転回できるようにそこだけ広めてある。
この坂道が「箕六弁財社」の参道で、途中から急坂になる。

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坂道を登りきったところは狭いが平地で、そこに鳥居が建ってる。石段はなんだか最初から不ぞろいだったかのか、歩き難いが村人たちの「普請」の証のようだ。


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鳥居の後ろの看板には「箕六辧財天社社寺林」とある。

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最初の石段が終わったところから少し傾斜は緩くなるのか、地道になってる。

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次の石段は「拝殿」までですが、「拝殿」でいいのだろうか?

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「拝殿」から「本殿」を。拝殿は平地になっていて右手に社務所だろうか、小さな建屋が森の湿気のためか朽ちかけてる。そこからの急な石段は野草に覆われていて見えない。

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「拝殿」から「本殿」への石段の途中から。


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「紀伊日の御埼灯台」・・・和歌山の風景

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紀伊半島の海岸線の中程に紀伊水道に突出した半島がある。どうもこの半島のことを「日の岬」と言い、半島の先端を「日の御埼」と表記するのだろうか、詳しいことはわからない。
「日の岬パーク」に入らず左に行けば自衛隊の施設がある。道はそこまででその先は深い崖だが、下に降りる急な細い道がある。自衛隊の施設に行く途中に灯台に行く道がある。舗装してるが今は「日の岬パーク」から入れるようになってるようで、管理されてない。

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「岩坂観音法仙寺」・・・和歌山の風景

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境内には本堂と庫裏、鐘つき堂が気持ちよく収まってる。この寺にも空海伝説があるようだが詳しくは知らないし、あまり興味が無い。
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この2本の大杉が山門の代わりだろうか、写真右側の杉は胸高周囲4.3メートル町指定天然記念物に指定されてる。このあたりの山は殆ど植林されていて別に珍しくもないが、これだけしっかりした杉はなんか安心感があって見飽きない。
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境内の一段下は整地されていて、木が乱雑に植えられてる。境内のすっきりした配置と対照的だが、以前はなにか建物があったかもしれない。そこから一段下った所は一般道になってるが、ちょうど境目あたりにサクラがある。寺の周辺はソメイヨシノを植えてるが、このサクラだけは年代が古いようだ。品種はわからない。
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「蛇岩神社」・・・和歌山の風景

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有田川町の二川ダムは有田川を堰きとめたダムで、その少し上流に支流の遠井(とい)谷川が流れ込んでる。その谷川に沿った山道の途中、手製の「蛇岩神社」と書いた道しるべに沿って脇道に入り峠を半ば下った所に参道がある。

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途中に鳥居、外灯、夫々寄進者の名前がついてる。

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境内は参道よりも少し幅が広いだけの場所に社殿と社務所と物置(?)らしき建てやが配置されてる。

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この参道も遠井辻峠に通じる古道だったのか、「旅人」はこの岩に「畏れを覚え」、今の信仰につながってるかも知れない。
いずれにしても空海は忙しい。

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「底つ磐根」・・・和歌山の風景

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「たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底つ磐根(そこついわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。」(この国のかたち 司馬遼太郎)
私(達)の遠い記憶がこの前で立ち止まることを求めるのか、去りがたさを感じながら写真を写して何がしかの満足を得る。それは染み付いてしまった「現世利益」の習慣からくる満足かもしれない。
古代人の「信仰」をすっかり忘れてしまったようだ。


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「有馬皇子」のこと・・・和歌山の風景

Wakaura10_3 藤白神社の「辻書」に「熊野一之鳥居 自是熊野街道」とある。
つまりこの地が「熊野」への入り口で一種「結界」のような場所だったのかも知れない。
もちろん熊野詣でが盛んになるのは中世からで、このような「辻書」ができたのもそれ以後かも知れないが、 有馬皇子がこの地で処刑されたのは、この時代からもうそのような雰囲気がこの地をおおってたのだろう と、空想している。

「磐代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらば亦かえりみむ」
この歌の存在が「日本書記」の有馬皇子の’物語’を否応なく現実実を帯びさせる。

処刑者達は皇子の魂を恐れたのか、藤白坂で処刑して魂を「熊野」に閉じ込めてしまったと、空想しても間違いなさそうだ。

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「玉津島」のこと・・・和歌山の風景

088s 午後も少し遅くなれば、決まって紀伊水道をねらう写真は逆光になるようです。
生石高原から金屋町へ下る途中急に海の見える風景に出会った。
光の中に浮かぶ島は、まるで万葉の時の「玉津島」を思い浮かばせ万葉歌がよみがえる。

玉津島見れども飽かずいかにして包み持ちゆかむ見ぬ人の為 (巻7)

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